『孤独なふりした世界で』 @東京国際映画祭2020
公式パンフレットは保管用かと思うくらいにきれいな状態で今年の映画祭が終わった。
緊急事態宣言が発令中の4月末、東京国際映画祭から一つのメッセージが公開された。
第33回東京国際映画祭、10月31日の開催に向けて|第33回東京国際映画祭(2020)
「こんな時期だからこそ」
それは、今考えれば相当な覚悟で想いを込めたメッセージだったと改めて考える。
今年も東京国際映画祭へはクラウドファンディングで寄付(個人的な言い方で言えば投資)をし、開催を心待ちにした。
特別招待作品の『ノマドランド』から始まった今年はオープニング上映の『アンダードッグ』を含め初日鑑賞作品こそは1席空けの状態だったものの、残りは100%開放の中、大半は満席の場内。
会期中22作品と出会い、どれも様々な角度から今を映し出す鏡として考え、楽しみ、そして感動をする。時には公開予定のない作品にはこの映画祭だけでなく通常の映画館での公開を待ち望むものも、日本での公開が決まっていれば是非にでも見てもらいたい作品。
逆に、見ることができた作品以外でもスケジュールの都合で見れなかった作品もあるし、日本では公開されないだろう作品を見れず後悔する作品もある。
今年は(「も」といったほうが正しいかもしれない)格差をはじめ"ボーダー"をテーマにした作品が多く、相変わらずだと感じるものがあったが、作品の見方を変えるとどの作品にも孤独を感じる瞬間を目にした。
放牧民として生きる道を選んだ『ノマドランド』然り、シリアから脱出し難民となった男がアートの世界に売られた『皮膚を売った男』、探偵として老人ホームに潜入するおじいちゃんのドキュメンタリー『老人スパイ』など、描く世界は一切の共通点がないものの、どれも誰かの孤独が描かれ、その誰かはどこかでその開放をしている。
まるで、『孤独なふりした世界で(2018)』と言っているかのように。
そんな、ふと頭をよぎった作品タイトルを思いながら今年の東京プレミア2020で唯一のコンペティション部門観客賞を受賞した『私をくいとめて』の舞台挨拶で大九明子監督がこの状況下の中、観客を入れて開催した映画祭に対して感謝の意を発したとき、世界中の映画祭がキャンセルやオンラインでの開催に踏みとどまった中「こんな時期だからこそ」とリアル開催を決意した東京国際映画祭もまた映画全体に対して孤独とその開放を行っていたことに深く心に刻まれた。
補足として大九監督がその発言をしたとき、進行していたシニアプログラマーの矢田部吉彦氏が深々と頭を下げ、発言への感謝を応えたさりげないシーンがあった。今年の映画祭はどういうものだったかを忘れないために書き記しておく。
確かに、今年の東京国際映画祭は例年とは違い、多くのゲストは海外から来日が叶わず*1、上映後のQ&Aがない状態。その代わりに作品鑑賞者向けにZOOMで繋がった作品ゲストへQ&Aをすることができる試みがあり、結果的に参加することができないものが多かったが、ゲストの話が聞ける貴重な場を用意してもらえたことはありがたい。物理的に来日することが困難なモハマッド・ラスロフ監督(『悪は存在せず』)だっているわけだから。
海外作品だけではなく、日本映画もまたマスコミを入れた舞台挨拶が多く、観客として自由に映画祭へ参加する機会は少なかったように思う。それもまた、この状況下でマスコミ向け試写がないことの現れなのかもしれないが。
例年のように自由に参加できたと思える上映は『佐々木、イン、マイマイン』と『Malu 夢路』くらい。オンラインQ&Aでは頭の中で整理のついた状態でじっくりと話を聞くことができるが、やはり感じたことを上映直後に伝え、回答が返ってくる熱のこもった時間もないと困る。
特に、『佐々木、イン、マイマイン』での作品ゲスト*2から伝わるこの作品への想いは会場中のすべての人に伝わり、その言葉を噛みしめる感覚はモニター越しでは味わえきれない。
それでも、当然のことながらQ&Aまで終了後、直接感想を伝えることは叶わなかったが。
今年最後の鑑賞作品だった『Malu 夢路』では、来日後、14日間の隔離を経て出席されたエドワード・ヨウ監督からマレーシアの状況を話してもらえた。
「マレーシアは今ロックダウン状態で、映画館も封鎖されている。映画館で観客がこんなにも入っている光景がシュールである」と。
今までは全く考えたことがなかったシュールという状況。この作品の夢というシチュエーションと混ざり合い、この映画祭がここまで多くの観客が集まることも夢のひとつなのかもしれない。今までは当たり前だったこんなにも素晴らしい映画祭を開催されたことに多大なる感謝を。
このコロナ禍という状況が少しでも回復し、海外から来日される作品ゲストが集まる華やかな映画祭が来年もまた開催されることを願い、さよならではなく、また来年と言いたい。
または、来年の素晴らしい開催への「アクション」というべきだろうか。
『スポーツ中継のBS時代』という戦略
1月19日、フジテレビはF1中継をCSでの放送は現行通りとしつつも、地上波で放送せずBSでの放送に変更すると発表され、20年以上地上波放送されていたコンテンツをBSで放送するという事で衝撃を受けた。
では、その影響はF1にとって、はたまたスポーツ中継にとってプラスになることかマイナスになることだろうか?
地上デジタル化の完全移行され、殆どのテレビにはBSも110度CSも見ることは可能でパラボラアンテナさえ設置すれば見れる状況である。環境さえ整えてしまえば誰でも視聴ができるようになり、テレビチャンネルの選択肢が増える。
要は、今まで見ていたF1ファンにとっては見る意志と環境さえあればそれでいいのだ。一部地域であった予選の放送がされないという格差も消え、中継の仕方さえまともであればプラスに働くだろう。
しかし今まで見ていなかった層についてはどうだろう?BS放送になることでザッピングをして視聴する行為は減るし、新聞の番組表でも隅に位置している。それでも興味をもつ人は現れるのだろうか。
F1はただ走っているだけ。という敬遠される中で如何にしてその中にあるチームの作戦を伝えることが出来るか、白熱した模様を訴えられるかによるのかもしれない。
『見ているだけの感覚』をどう打破するか。というものはF1だけでなくどのスポーツでもあって、それを理解した先に見ている側の楽しみ方が"ファン"になる要素なのではないかと個人的には思う。
長年、地上波で放送されていたプロ野球も今やBS中継の主流となり、試合開始から試合終了まで見れる機会が増えた。試合の途中から中継が始まりいいところで終わるのが当たり前だった頃と変わってファンにとっては見やすくなり、放送もデータ重視で配球や選手の調子などをより伺えるようになったのではないだろうか?
他のスポーツでも、フィギュアスケートは競技をできるだけ多くの選手の演技を放送し、サッカー天皇杯ではデジタル化の利点の一つであるマルチ放送を使って同時間に行われている試合を同時に放送。WOWOWでは1つのチャンネルをほぼ独占しテニスのグランドスラムを朝から深夜まで連日生放送をし大会の余すところなく伝えている。
このように、BS放送は見て楽しさを見つける・・・興味を持つ、好きになっていく感覚を伝え始めているのではないだろうか。悪く言えば中身の数で勝負するとなるが、注目される部分でなく注目されていない部分も見せ始め、スポーツ競技の選択肢・・・さらにその先の競技内での選手やチームの興味を持つ選択肢が増えている。
そして、2011年10月e2スカパーチャンネルのBS放送が始まり、BSチャンネルのラインナップが増えた。2012年3月にもさらに増える
その中でJリーグ中継などを放送するBSスカパーや、スポーツ専門チャンネルのJ SPORTSが加わりたくさんのスポーツ競技の選択肢が増えた*1。
CSチャンネルがBSチャンネルに加わることになり放送権の弊害が生まれ、J SPORTSは幾つかのコンテンツを手放さなければならない。そのことをCSから見ているユーザとしてはどう乗り越え、見せてくれるか期待したい。
スポーツ放送はディレイ放送でも構わないかもしれないが、スポーツは生物であることや選手達が生む興奮や感動を味わえる。ということを地上波放送とは違うBS放送の良さとして今回のF1を始め、たくさんのスポーツ中継で見せてくれたらと思う。
今やスポーツ中継は「嫌なら見るな」ならぬ、「スポーツに興味を持ちたいなら衛星放送で見ろ」という時代に変わっているのだろうか。
それは少し寂しい・・・視聴者を煽る風潮がないならば。
スーパーママチャリグランプリ2011
今年は応援団からドライバーに正式に転身して参加させてもらいました。
(FISCO走れる)ワクワク(走りきれるか)ドキドキ(寒さに)ブルブル
テントを移設→設営で既にヘトヘトな部分があったものの、会場は明るくなるに連れて活気になって行き熱気が出てくるが、
この時はまだ氷点下だったらしい・・・。
怪我しないよう運動するため全員でラジオ体操を行うときにはもう「俺はやるぜ!」な雰囲気。
富士スピードウェイ名物のロングストレートに入ることができたので入ったけれども本当に長いのです。
モタスポ好きとして路面を触ってみたけれど、びっくりするほど平でつるつるしていてびっくりした。
300kmで走るのだからそれくらい平らにしないといけないからね。
ストレート( 1コーナー側)
ストレート( 最終コーナー側)
一人で7時間ママチャリで走り続けるというのも無謀なので交代制。
「楽しんで走るぞ!チーム(重要)」で参加したBチームは当日体調の関係で不参加続きになり
5人になったことで、休み休みをテーマにのんびりやろうという一応簡単なスローガンを掲げたんですけれどね。
・・・で。走ったわけですが、最初の2分くらいは「こんなに楽しいのかー!」と嬉しくなってしまった。
しかし、中間に設けられているピットを使ったためにその楽しさはすぐに 消滅。
富士山を真正面で見れる景色がとても綺麗な平均8.88%の坂、長いと堪える。絶望。
富士山?見る余裕なんてありませんよ?「降りたら負け」いう自分に課せたプレッシャー・・・地獄。
トヨタの方には悪いけれども、参加した人の中にはプリウスを恨む人が出てくるんじゃないかと思った。
登りきっても最終コーナーを立ち上がった時の1400mあんのか!という呆れ加減は本当に泣ける。
ある程度走っていても、路面を見ると車を停めるグリッドが43とかあるんだよ、
たとえ、1になってもまだ数百メートル走らないと歓喜の下り坂にはたどり着けないんだよ。
いくら歓喜できる下り坂も一歩間違えたら病院送りになるのでそれも危険。
最初はペダルを回さずに下りても周りが回しているとちょっとだけ悔しかった。
ピットのあるヘヤピン前でもうちょっとだ!と思ってもコース取りが限られるので
一番きつい部分を走らざるを得ない状況がすごい嫌だった。
足付けたい・・・、押して進みたい。脳内は即却下だけれども。
そういう最初の1周だった。12分は切れたけれどね。
#スタート/ストップは正確ではないけれど、Every Trailを使って計測
#1週目計測:http://www.everytrail.com/view_trip.php?trip_id=1410288
その後も少しの休みをとりつつ、2周連続で走ったり、
ガレージ部隊さんが作ってくれたご飯を食べたあとカロリー消費のため走ったり。
6周走って12分オーバーが2周だけと、平均でとれば12分は切っているので大満足。
坂を克服しなければ速くなれそうにないからタイムアップの期待は望まない・・・。
滅多にないチャンスとして、欲を言えばあと2周くらいは走れたら良かったなー、とは。
来年走る時は、もう少し余裕を持って子供に声援送ったり、走っている時に声をかけれたらと。
体はボロボロであるけれど本当に楽しかった。参加した全ての人にお疲れ様!と
大会を運営された方、今年も声をかけていただいた冒険企画局さんに感謝。
去年はすべてが初めてで楽しむ余裕を持てた時間が少なかったけれど、今年は余裕を持てた。
様々な格好で走る人や美味しそうな匂い、極寒の中集結したオオバカどものいいイベントでした。
せっかく、成人式の前日に行うんだからこれを小山町の成人に対する儀式にすればいいと勝手に思った。
ちゃんとしたブログ!
まあ、長文でいろいろと書きたいことはできてしまうようになっているけれど。
その内容を自分の頭で整理してちゃんとした文章にする能力って最近できているのかな?
と思ったりするのです。
とりあえず、UnzaUnzaでいこー。